2012年2月16日 (木)

「少女売買」(長谷川まり子)

ネパールはインドと中国チベット自治区の間に位置する小国で、人口は約3千万人。失業率は約4割と高く、国民の3割が貧困線以下の生活をしている。

そのネパールから、インドの大都市にある売春宿に、年間7000人もの少女たちが売られているという。昔話ではない。現在進行形のできごとだ。彼女達の多くは16歳以下で、7~9歳の幼女までもが含まれる。

ターゲットにされるのは、農村部の貧しい家の子供たちだ。幼いころから貴重な労働力として働かざるをえない彼らは、「ムンバイのカーペット工場で働けば、今よりずっと良い暮らしができる」などと囁かれると、日々の苦しい労働から逃れられる、家族をもっと支えられるという希望を抱いてしまう。無知がさらに彼らを無防備にしている。ネパールの農村部は識字率が低く、テレビやラジオといった情報も限られている。娘が連れ去られても、警察に届け出ることを知らない親が、「神隠し」として諦める場合もある。

何も知らずにインドへ連れて来られた少女たちは、売春宿経営者に脅され、暴力を振るわれて、従うしかないと思い込むまで追いつめられ、その日から客をとらされる。相手にする客は1日に数十人、100人を超える日もあるという。24時間365日、客がいる限り働かされ、給料は出ない。病気になっても医者など呼んでもらえない。経営者にしてみれば、治療費を払うより、「替わり」を買った方が利益が大きいからだ。警察も政府も売春宿と癒着しており、賄賂と引き換えに容認している。

売春宿を訪れる客の多くはインドの低所得者で、性感染症に関する知識などなく、コンドームの存在さえ知らない。セックスワーカーがコンドーム着用を頼んでも拒否する客が多く、インドの赤線地帯はHIVの温床となっている。

近年、世界がインドのHIV感染率に注目したことから、インド政府およびインド警察はようやく動き始めた。しかし彼らのやったことは、外国人感染者を本国に送還し、国外追放しただけ。送還された少女たちの多くはHIVに感染しており、元娼婦=「汚れた存在」として祖国で偏見を持たれ、家族にも見放され、治療も受けられないまま、AIDSや他の病気を発症して亡くなっていく。救出された被害女性の40%もが偏見・差別に耐えられず、インドに戻って娼婦やトラフィッカー(周旋人・斡旋業者)になるという。かつて自分も売られて人生をめちゃくちゃにされたというのに。

実は本書を読む前に、昨年、ある講演会で著者の長谷川さんから直接この話を聞き、女性として、また一女の親としてかなり衝撃を受けた。長谷川さんは、ライターとして活動する傍ら、人身売買被害者を現地で救済しているNGO(レスキュー・ファンデーション/マイティ・ネパール)を支援するNPO(ラリグリス・ジャパン)の代表もつとめている。

ラリグラス・ジャパン/インドとネパールの女性と子どもたちの未来のために
ラリグリス・ジャパン

幾つかのNGOやNPOに定期・不定期に寄付することがあるものの、ラリグリス・ジャパンのような人道支援活動に対して、「近づきたいけど近づけない」後ろめたさを正直ずっと抱えていた。問題が重ければ重いほど、「お金しか出せなくていいのだろうか」「生活にゆとりがなくなったらできなくなるような、中途半端な同情でいいのだろうか」と思い、かといって、仕事も育児も抱えている身でボランティアもできず、給与水準の低さにもめげずNGOやNPOで生き生きと働く友人を少し羨ましいと思ったり。

講演会では名刺交換もはばかられて挨拶しなかったが、帰途、たまたま駅で長谷川さんに会い、話す機会があった。上記のような葛藤というか、言い訳というかを口にしたところ、長谷川さんは笑って、「こういった活動はバトンをつないでいくことが大事」というようなことを話してくれた。支援活動は長い。1人1人はできる範囲で、できること、払える額を提供し、他の人にそのバトンをつないでいく。被害者の人生全部を背負うことはできないけれど、ある時遠い国の誰かが自分を思って手紙なりチョコレートなりを送ってくれたということが、受け取った人にとっては、何かの時にふと自分を支えてくれるものになりうる…と。

ご本人とお会いしたあとでこの本を読むと、長谷川さん自身がどういう経緯で人道支援活動にかかわることになったかというレポートでもあり、興味深かった。大学で開発学など学び、大学院、留学して・・・というパターンかと思いきや、失恋、就職先の倒産と債権者対応などのゴタゴタを経て、成り行きで30歳近くでライターになり、好きなインドで見つけた「ネタ」が赤線地帯で働くネパール人の少女達だった。

また、日本での支援者を集める支援団体と、支援される現地NGOの関係は、人道支援という崇高な目的のために一致団結しているのかと思ったら、資金難を訴えるために収支公開しようとしない現地NGOと支援団体との間でトラブルが起きたりと、「良いこと」をする人のいろいろな側面も見えた。「支援団体は金だけ出せばいい。やり方に口をはさむな」と息巻く現地NGOの代表が、多額の援助を検討する支援団体には謙虚な姿勢を示しているのを見て、「口を出すには、金を出さなくてはならないのだと思った」と長谷川さんは書いている。

ならば、と思う。「金しか出せない」のはちっとも後ろめたいことではない。

読んでみようかな、と思った方は、ぜひ、ラリグリス・ジャパンのサイトに行き、本を購入してほしい。定価の2割が寄付金になるし、現地の女性が制作したビーズ・アクセサリーも一緒に送ってくれる。もしかしたら、制作した女性はもうこの世にいないのかもしれないけれど、丁寧に繋がれた小さなビーズが、彼女達がフィクションではないことを教えてくれる。

2012年2月12日 (日)

数学なんかこわくない!「数の悪魔」

私は数学が嫌いでした。

この本を読むまでは。

自分は文系を選択した諸氏に多いだろう、「算数」まではできたけど「数学」で挫折したクチ。「算数」って数学じゃなくて、国語(読解力)なんですよね実は。だから、「算数」と同じようには「数学」は解けないのですが、そこの移行でつまづいてしまった。

そして、できなかったから、嫌いになっちゃった。夫は数学ができるわけではない(と見える)けど好きで、たまにタイトルに「数学」が入っている一般書を買ってきていたのだけど、全然読む気にならなかった。

それでも数学のできる人に憧れて、社会人になってから何度か数学をやり直そうと思ったけど、ことごとく挫折。これは、教材選びを間違ってた、と今にして思う。

脳を鍛える10の方法」の第1が「物事に興味を持ち、好きになる力をつける」であるように、嫌いなものについてどんなに「わかりやすい」教材を選んでもダメ。嫌いという感情のレッテルを心が貼る限り、その情報をうまく処理することはできないから。

学びたいなら、まず好きになること。

この本は、数学が生理的に嫌い、という人にこそおすすめ(もちろん数学が好きな人が読んでもきっと面白いと思う)。なぜなら、

  1. この本の主人公は、「算数って聞いただけでじんましんが出ちゃう」算数嫌いな男の子だから(あなたと同じ!)。
  2. この本は教科書ではないから。算数や数学の授業とは何の関係もない。
  3. この本は問題集ではないから。「さあ、自分で解いてみましょう」なんて突き放されることはない。何の公式も覚えている必要がない。
  4. この本は計算しないから。暗算できると便利なのは、九九くらい。その先は計算機を使っていいし、実際に本の中でもそうしている。
  5. そして、驚くべきことに、この本は「数学者ではない」作家が書いた「数学の"面白さ"を伝える本」だから。

この本の物語は、算数嫌いな主人公の夢に「数の悪魔」が現れたところから始まり、2人の対話で進んでいく。恐る恐る読み始めて、なるほど、計算もないしこの程度なら読めるなあ・・・と思っていたのが、途中で急に「面白い!」に変わる。

30数年、私にとっての数学は「先生や他の誰かが作った問題の正解を出すこと」だった。でも、本当の数学は違ってた。

「好きな偶数を考えてごらん。どんな数でもいい。ただし、2よりは大きなやつをな。すると、それは、2つの素数をたしたものなんじゃ」(中略)
「いつも、そうなの?」ロバートはおどろいた。「どうして。なぜ、そうなの?」
「ああ」。老人は額にしわを寄せ、パイプの煙をふうっと吹いて、煙の輪を目で追った。「わたしだって、知りたい。知り合いの悪魔は、ほとんど全員、秘密を突き止めようとしてきた。たしかにいつも計算はあう。例外なしに。だが、なぜかはわからない。だれもまだ証明できない」
なんてこった。ロバートは笑いをおさえることができなかった。
「ほんと、すごいね」と言った。
(第3夜『素数の秘密』より)

まさか自分が、0や1や素数や、フィボナッチ数やパスカルの三角形に感動する日が来るなんて。

ほんと、すごいね。

数学って!

2012年2月11日 (土)

早期療育を知っていますか「発達障害の子どもたち」

先日、脳科学の先生の話を聞きに行ったのはこちらで述べたとおりですが、その場に自閉症の子どもを持つお母さんも来ていて、「療育」について質問されていました。
それ以前からいろいろな人に小学校の学級崩壊について噂を聞いたりして、発達障害のことはちゃんと知っておかなければなあと思っていたところ、Facebookであきのりさんにこの本をおすすめしていただきました(ありがとう!)。

著者の専門は児童青年期精神医学。発達障害の臨床現場で見てきた実例を多く紹介されているので、素人の私でもイメージしやすい。

杉山氏はまず、「発達」を

人として生まれた子どもが、受精した瞬間から社会の中で生き、自立するまでの過程全体

ととらえたうえで、

発達障害を

「子どもの発達の途上において、なんらかの理由により、発達の特定の領域に、社会的な適応上の問題を引き起こす可能性がある凹凸を生じたもの」

と定義し、以下のように分類しています。

  1. 精神遅滞と境界知能(認知の全般的遅れ)
  2. 広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)
  3. 軽度発達障害(ADHD、LD、発達性協調運動障害)
  4. 子ども虐待

ここで虐待が1カテゴリとして出てくるのがちょっと驚きでしたが、杉山氏の勤務先は子ども虐待の専門外来も設けており、受診者の半数がなんらかの発達障害と診断されたとのこと。上記で言えば3.の軽度発達障害が虐待を引き起こす危険因子になるとともに、虐待の後遺症として対人関係に重大な問題を抱えることが多いのだそうです。

つまり、落ち着きがない、会話が噛み合わない、忘れっぽい・・・などの特徴を持つ子どもを親が過度に叱る→虐待、という流れと、

虐待を受けた子どもがその後遺症から対人関係をうまく築けず、社会適応が難しくなる・・・という双方向の複雑な関係がある、ということ・・・。

軽く統計を調べたら、文科省が2003年に「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」というのを実施していて、知的発達に遅れはないものの、学習面や行動面で著しい困難を持っていると担任教師が回答した児童生徒の割合は、6.3%。

つまり、30人のクラスだったら、1人か2人は「授業についていけない」「授業中に座っていられない」などの特徴を持つ子がいるということです。すごく、身近だと思いませんか。そういう子を持つお母さんにどんな言葉をかけますか。

たとえ自分の子が発達障害ではなかったとしても、発達障害について正しい理解を持っていることは、割に重要なことではないかなあと思います。それが虐待やいじめという二次被害を引き起こしがちだということも含めて。

発達障害とは「生まれつき」の問題で、「一生治らない」のでしょうか。前述の定義として、発達障害は「社会的な適応上の問題を引き起こす」「発達の凹凸」です。ということは、たとえ「発達の凹凸」がそのままだとしても、「社会的な適応上の問題」が起こらないようになれば、発達障害ではなくなります。

それに、「発達の凹凸」は固定的なものではない。発達を支えるのは生物学的素因(遺伝情報)と環境因の掛け算です。凹凸を生む遺伝子を持っていても、それが発現するかしないか、どの程度発現するか、は環境との相互作用を持っている。遺伝的素因がなくても、虐待のような極端な環境が凹凸を生むことがある。

凹凸が大きく現れた子も、その子に合った個別対応のできる環境に置かれれば、適応上の問題を防いだり、凹凸自体を小さく(見えなく)することができる、ということでもありますよね。

子供の脳は生まれてから3歳くらいまでに急激に重量が増加しますが、神経細胞が増えているのではなく、ネットワークがどんどん構築されているのだそうです。これを杉山氏は新幹線に、脳科学の先生は高速道路に例えていました。

高速道路がないうちは道を間違えたり、目的地にたどり着くのに時間がかかったりするけれど、そのかわりにどこかが不通になっても迂回路がたくさんあります。したがって重度の発達障害でもできるだけ早くリハビリを開始すれば、回復が大きい。

脳科学の先生が、「療育は必ず早ければ早い方がいい」と言っていたのはこのことだったのだなあ。

軽度発達障害の場合は、学校教育が始まってから問題になることが多いのですが、問題が見えてきても、通常学級にそのままいることもできる。でも、虐待やいじめの引き金になったり、本人の自己イメージが低下してしまって、さらに深い問題につながるかもしれない。ここでもやはり、保護者や周囲が「発達障害かもしれない」という視点を持つ段階から含めて、「早ければ早い方がいい」のです。

「自分がまったく参加できない会議、たとえば外国語のみによって話し合いが進行している会議に、45分間じっと着席して、時に発言を求められて困惑するといった状況をご想像いただきたい」という説明、すごくわかりやすい・・・。

「早ければ早い方がいい」のに、日本ではずっと特別支援教育が軽視されてきて、特殊学級の数もとても少ないのだそうです。しかも、小学校の特殊学級が少なく、中学、高校と進むにつれ増えていく。本来は逆であるべき(早期に特殊学級で個別対応を受け、大きな集団に戻っていく)なのに・・・。

まずは、自分がそういう立場に置かれたら、どんな気持ちになるか、というところから始まるのだろうな。

2012年2月10日 (金)

"早期教育"より"育脳" 「子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!」

3歳児神話ってご存知ですか?
人の脳の神経細胞は3~4歳くらいまでにものすごい勢いで増殖し、大人とそう変わらない数まで増えてしまうことに注目して、「幼児期は重要だから母親は育児に専念すべき」とか「3歳までにきちんと刺激を与えないと健常に発達しないことがある」とか主張するものです。

先日、むすめ(3歳)の通う保育園で脳科学の先生が育児についてお話してくれて、「3歳児神話は厚生省(当時)が最初に言い出して、それを受けてNHKスペシャルで"3歳児"を放送し、世に広まったんですよ」と教えてくれました。

NHKェ。。。

この本は脳医学の先生が書いた「脳の育て方」の本。
タイトル的には「決まる!」って断定していますが、中身を読むと「育脳に“手遅れ”ということはないのです」と書いてあります。内容をよく理解すれば、大人の育脳にも役立ちます。ただ、脳の発達過程が3歳、7歳、10歳前後でそれぞれ変わるので、そのタイミングで子供へのアプローチを変える必要がありますよ、ということです。

●脳=本能、機能、心の三位一体
「才能のある子に育てる」と言う時、大抵は、その「才能」とは「計算問題が早く解ける」とか「語学が堪能」とか、いわば脳の「機能」を指しています。
しかし、実は脳の「機能」だけを高めることはできません。脳は「本能」を基盤として、「心」と「機能」が密接に関係する、三位一体のものだからです。

  1. 本能
    脳神経細胞の1つ1つが「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という本能を持っています。また、それらが組織化して「自己保存」「統一・一貫性(整ったものやバランスの良いものが好き)」「自我(自ら達成したい気持ち)といった本能を持ち、「違いを認めて共に生きる」という本能によって各組織が連合しています。

  2. 本能を基盤として、さまざまな心が生まれます。
    「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」→探究心、競争心、友愛
    「自己保存」「自我」→自尊心、欲望
    「違いを認めて共に生きる」→貢献心、他者への愛
    「統一・一貫性」→クオリア(微妙な差異に好き嫌いを感じる心)
  3. 機能
    やはり本能を基盤として、思考・理解・記憶などの機能が働いています。

本能は心と機能の双方の基盤ですが、心と機能も関係を持っています。

脳に入ってきた情報に、心が「好き」「興味がある」といったポジティブな感情をつけると、その情報を機能がうまく処理することができるのです。逆にネガティブな感情を持った情報は、うまく処理しません。

●本能には逆らえないが、方向は変えられる
本能は脳の基盤であり、非常に強い力を持っています。また、前向きに作用することもあれば、後ろ向きに作用することもあります。

後ろ向きに作用する本能が重なると、理屈抜きで非常にネガティブな反応を起こします。

例えば、子供は普段から自分に対して否定的な人は好きになれません。これは、「統一・一貫性」の本能が、自分とは異なる意見の人を嫌う反応を引き起こすからです。そんな人が、「逆上がりをしてみなさい」と子供にチャレンジさせようとします。子供はただでさえ「統一・一貫性」の本能が後ろ向きに作用しているのに、さらに怖い=「自己保存」本能を後ろ向きにはたらかせる逆上がりを強要され、挑戦することができません。

でも、人にどんな本能があり、どれがネガティブな反応を引き起こしているか理解できれば、後ろ向きになっている本能を前向きに働かせることで、ポジティブな反応に変えてあげることもできます。

これは子供のみならず、大人にも有効ですよねー。何か自分がネガティブになっているものがあった時、元の本能を前向きに刺激してあげれば、意図的にポジティブな方向に変えられる!ということです。

●脳を鍛える10の方法

  1. 物事に興味を持ち、好きになる力をつける
  2. 人の話を感動して聞く
  3. 損得を抜きにして全力投球する素直な性格を育む
  4. 「無理」「大変」「できない」など否定的なことを言わない
  5. 目標に向かって一気に駆け上がる
  6. 「だいたいわかった」などと物事を中途半端にしない
  7. 重要なことは復習し、繰り返し考える
  8. 自分のミスや失敗を認める
  9. 人を尊敬する力をつける
  10. "類似問題"で判断力を磨く

どうでしょう?

育脳、できてますか?

あ、ちなみに10.の「類似問題」とは、「どっちが好き?どうして?」というような質問を繰り返し出すこと。「統一・一貫性」の本能からクオリアが生まれ、微妙な差異を判断して緻密に考える力につながります。これが、新たな発見や独創的な思考につながります。

このへん、西堀栄三郎先生の創造的生き方も思い出され、本能をしっかりと強く、前向きにすることがその人本来の力を発揮するうえでまず一番大事なんだなと。そして、心。ポジティブな心。

子育てについては上記の10点に加えて、3歳までにやってあげたいこと・3~7歳でやめたい悪い習慣・7~10歳以降の注意点もあるうえに、それぞれのステップでのFAQもあり、薄い割に親切な本です。さすが新書。

そういえば、クーリエ・ジャポンの3月号も脳の話をやっていましたね。右脳と左脳って考え方や、ブレストってもう古いんですって……びっくりー。

2012年2月 9日 (木)

石橋を叩けば渡れない(西堀栄三郎)

探検家、科学者、起業家、発明家・・・「前例のないこと」や「経験のないこと」、つまり「未知」に挑戦して成功した人々の話は、私たちをワクワクさせます。
でも、彼らのように未知に挑戦できる大人はほんのわずかです。

彼らはなぜ、未知に挑戦することができたのでしょう?
そして、どうやって困難を乗り越えたのでしょう?

●探検家的精神とは

第1次南極観測隊の越冬隊長をつとめた西堀栄三郎氏の語るところでは、未知に挑戦する「探検家的精神」とは下記のようなものだそうです。

  1. やるかやらないかを決めるために調査する前に、やるという決心をする
  2. 失敗のリスクを減らすために綿密に調査し準備する
  3. 必ず予想外の出来事が発生すると覚悟し、何とかできるという自信を持つ

石橋を叩く前に、渡ることを決めるのが探検家です。

●創造性の発揮

しかし、準備していなかった予想外の事態への対応は、臨機応変に行われなければなりません。そこから先は、模倣ではなく創造。ロジックではなくノンロジックの世界です。

創造性を発揮したかったら、第1に、うぬぼれでも構わないから自信を持つこと。そして、絶対に諦めずに前向きに実行すること。

創造性は人の本能です。創造性を発揮する自由を人は本能的に求めているし、それが抑圧されれば不満を抱きます。その不満の解消のために真剣に取り組む勇敢さが、まず自分自身に向かうことが必要です。

「勇気が自信に先行し、経験が勇気を作ります」

●リーダーシップ

壮大な探検は1人ではできません。そして、メンバーが共通の目的のためにそれぞれの創造性を最大限に発揮できなければ、未知を克服することはできません。

西堀氏はメンバーの「個性尊重」を主張します。欠点の裏には個性がある。人の個性は変えられない。でも、能力は変えられるのです。

人の能力を変えるのは、当人の自発性であり、意欲です。人を育てようと思ったら、「調子に乗らせて」意欲を高め、能力を増大するのが効果的なのです。

統率とは教育であり、教育とは暗示。暗示の基本は、「否定語を使わない」で、「成功を断定する」こと。チャンスを見つけては、「~~になれるよ」と断定してあげましょう。

昭和基地でのさまざまなエピソードもどれも面白いのですが、その1つ。西堀氏は「昭和基地の憲法第1条」として、「酒を人についではならん」というルールを作りました。なぜなら、人に酒をつぐということは、人の自由を妨げることだから、という理由です。そのかわり、手酌で飲むならなんぼ飲んでもよい。これで、昭和基地で過ごした1年間、お酒のトラブルはひとつも起こらなかったそうです。

こんなに、隅から隅まで面白い本も滅多にないです。個人的に、2011年に読んだ本でベストです!

2011年11月 1日 (火)

ブログ移転→Uターン

エキサイトで別ブログを始めたら、
けっこう書きやすくて
(そして複数ブログを更新できるバイタリティーはたぶん自分にないので)

そっちに移ることにしました。

http://emihata.exblog.jp/

です。

あらためてよろしくお願いします~。

※2012年2月8日追記

・・・の予定でしたが、いざ始めてみたら

エキサイトブログは「ブログパーツが(ほとんど)使えない」という

本好きには致命的な欠点が・・・

というわけで、書籍紹介はこちらに戻ることになりました。

無事に転職できたし、ぼちぼち更新していきます。

2011年10月26日 (水)

コレクティブハウスという暮らし

このあいだ、夫婦でコレクティブハウスの説明会に行ってきました(主催はNPO法人コレクティブハウジング社)。

「コレクティブ」とは、「集合的な」とか「共同の」という意味で、

海外ではコレクティブハウスの事例も多いみたいです。


「シェアハウス」とも似ているけれど、

シェアハウスが普通の一般住宅を共有することが多いのに対し、

コレクティブハウスは、入居する世帯ごとの私的スペースが

もう少し独立性が高い感じです。

コレクティブハウジング社が手掛けたコレクティブハウスは都内に4件ありますが、

各世帯にキッチンやお風呂、トイレが備わっていて(1件だけお風呂は共有のみ)

それとは別にコモンスペースとして、コモンキッチンやコモンリビングがある。

したがって、家族(自分)だけで過ごしたいと思えばそうできるし、

他の住人と交流したいと思えばコモンスペースに行けばいい。

そういう暮らし方が可能だそうです。


ちなみに、いずれも賃貸。

これは日本だと中古住宅の流通市場が発達していないので、

家を購入するという行為がかなり敷居が高く、

コレクティブハウス用に持ち家を建ててみるということが

なかなか難しいからだそう。


家の作りに加えてもう1つ特徴的なのは、住人達で家を共同管理し、

モノや家事もできる範囲で共同化するということ。

例えば洗濯機。各世帯で使う時間は1日どれくらいか考えると、

1軒に1台はいらない。だからランドリースペースで共有しちゃう。

普通、マンションだと共有スペースは大家や管理会社が選んだ清掃業者が

掃除すると思いますが、

コレクティブハウスでは住人が分担して掃除します。


一番象徴的なのは「コモンミール」といって、住人全員の夕食を

持ち回りで作るというもの。


一見、他人の分まで家事が増えてめんどくさいようにも思えますが、

実はシェアすることによって個人の負担は減るのです。

たとえば世帯ごとにバラバラに夕食を食べていると、

各世帯で(大半はお母さんが)毎日夕食を作らなければいけない。

でも、コモンミールにして、10人が持ち回りでお互いの夕食を作れば

自分が作るのは10日に1回だけでいい、ということになります。

大掃除だって、みんなでわーっとやればすぐ終わりますよね。

1人だと日をずらしてコツコツやったり、丸1日かけたりしないといけないけど。


そうはいっても、賃貸で共同管理なんてうまくいくの?とか、

平日は忙しいしコモンミールなんて無理、とか、

食べ物の好みやこだわり度なんてみんな違うのに、

他人の作った食事を食べるなんてできるの?とか、

あれこれ疑問も出ると思いますが、説明会では丁寧に話していただきました。


コモンミールについては、既存のコレクティブハウスでも準備段階から

入居希望者の中で議論になったそうですが、

入居前に、実際に皆で持ち回りで食事を作って食べてみる、というのをやったところ

「他人の作ってくれた食事は意外とおいしい」

「意外と多人数の食事も作ることができる」

「おいしいと誉めてもらえると嬉しい」

「みんなで食事をするのは思ったより楽しい」

と、ネガティブなイメージが変わり、結局今でも実施されているそうです。


ただし、平日は働いて忙しい人が多いので、毎日ではなかったり

週末にコモンミールをやったり、無理のない範囲でやっているらしく、

ここは海外のコレクティブハウスとは違う点のようです。


個人的には経営学の組織論とか大好きなので、

コレクティブハウスのフラットな組織運営のあり方に興味を持ちました。

入居者全員で構成する住民組合で管理について意思決定していきますが、

役割の分散とローテーション化によって権力が偏らないようにしたり、

多数決はしなかったり、世帯ではなく個人が単位になっていたり、

「とりあえずやってみる」「ルールは固定ではない」の姿勢で

意見衝突が減ったり・・・と面白い話が満載でした。


今すぐに住みたいという衝動はまだないけれど、

興味深いので近いうちに既存物件の見学も行くつもりです。

なんでかというと、子育てしていると

コミュニティというか、他の世帯とのつながりって

すごく大切なんですよね。

でもやっぱり賃貸マンションに住んで、町内会も入らずという立場では

地元との繋がりといってもあまり実感ないし、

保育園のママ友さん達とも情報交換はするけれど

園の外で一緒に過ごすということはほとんどないし

(だから食事会幹事とかやってるわけだけど)。


この先娘さんが小学校に進んで、放課後の過ごし方を考えた時、

自分がその時も働き続けているという前提だと、

家族以外のコミュニティに子供を見守ってもらう必要があるのでは

という気がするのです。

まあ、民間学童に預けるとか、塾にいれちゃうとか、寄宿学校にいれちゃうとか

選択肢はいろいろあるわけだけど、

コレクティブハウスもその選択肢の1つとして、知っておきたいです。

2011年10月20日 (木)

デザインっておもしろい

娘さんも無事におたふく引きこもり期間が終わり、
保育園が始まりました。

長かったなあ~~

お仕事もぼちぼち。

時短なので、外に出るよりは、報告書とか
データをぽちぽち作るとか、
そういう仕事が多くなっちゃうよという話はされていて、

正直それは嫌だなあ、と思っていたのですが、

意外にやってみるとそんなに嫌でないことに気がついた。

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そういえば、今年は「プレゼンテーションzen」を読んで衝撃を受けたりしてたし。
無料画像を探してぽちぽち貼っていくと、
けっこう楽しいです。

ノンデザイナーズ・デザインブック [フルカラー新装増補版] Book ノンデザイナーズ・デザインブック [フルカラー新装増補版]

著者:Robin Williams
販売元:毎日コミュニケーションズ
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これも良かった。
図書館で予約したら順番待ちだったので、旧版(モノクロ)しか読めてないけど、
早くカラーも読みたいです。

常駐期間中になぜか覚えた画像加工の技も
無駄ではなかったのだなあ、と思いながらぽちぽちしています。

you can't connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.

ほんとだねえ。

2011年10月19日 (水)

コーアクティブ・コーチング

というものを学んできました。

すっごい疲れたけど、
すっごい楽しかったです。

受講初日からいろんなことに気がつくので、
それをメモするためのブログを別途作ることにしました。
http://emihata.exblog.jp/

先週まで、いろいろ思い悩んでいたのが嘘のようで、
こんなに楽しいのはおかしい、
だまされているんじゃないかしらっ、
と疑っている自分もいます(笑)

2011年10月12日 (水)

マイナスから。

なんと娘さんが「おたふくかぜ」にかかり、ザ・ひきこもり生活です。
幸い熱も少ししか出ず、元気いっぱい。
しかし他の子にうつすわけにはいかないので、外には出れず・・・。

ああまた会社の上の人から評価が下がるなー、と思いながら
お休みしています(娘昼寝中)。
去年復帰してすぐの頃も熱を出してはお休みして、
親切な(とご本人は思っている)忠告をいただいてへこんだりとかしたな。

会社もあまり明るい見通しがないので、
子持ちで出張NGで残業NGというワーキングマザー正社員を
「コスト」としてしか見てない、というのはしみじみ感じます。

まあこういう時代でもきちんとお仕事をもらえる会社はあるし、
遠方の仕事が中心になっているのは、要するに首都圏の競合に
負けているってことだよねとか毒づいても仕方がなく。

じゃあ働く時間を少し延ばして頑張りますって言っても、
出張OK、長時間労働OKの男性社員さえ余ってるんですから。

お仕事のある会社に行こうかな。
と思って面接も少し、受けてみたのですが
いまひとつ、ピンとこなくて、お互い時間を無駄にしても仕方ないので
やめてしまいました。

「私ってなんて市場価値が低いんだーー
もっと学生の時から頑張ってくればよかった。
よし英語でももっと頑張るかっ!」
・・・とか、
「今まで通り」考える自分もいるんだけど、

なんかもっと、根本的なところが変わってしまったのかな、と思う。
家族ができたから、なのか。
子供ができたから、なのか。
震災があったから、なのか。
変わったのが自分なのか周囲なのか、
それはわからないけど。

今までの自分を否定するつもりはないし、
お金も人脈も時間もないのに、偉そうなことを言うなー
なんて心の声も聞こえてきて。
そうだよね。むしろ、マイナスだもんね、今。
(あ、家計の資産のことではありませんが)

そういえば、最初の会社を辞める時も
「思い上がっている」ってメールをもらってすごくびっくりしたっけ。

でも、あの時、自分の可能性に賭けてみて
望んだものを予定通りに手に入れた、という経験は
「資格」以上に私の糧になっている。

いま、世の中がどんどんどんどん変わって、
「フツーの今までの常識からしたら絶対あっちなんだけど、
もしかしてこっちなんじゃないの?」
って思ってる人がたくさんいるような気がしていて、
そういう人たちの背中をどんどん押していったら、
けっこう面白い世の中になるんじゃないの、

とか思って、いま、準備中です。
うん。

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